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50年のあゆみ 1963 創業当時の事務所(市川市菅野)

創業者 小原捷雄

小原時計店の景品券

京葉瓦斯時代の捷雄(右端)・昭子(右から二人目) 創業当時の捷雄・敦・智

創業者である小原捷雄(トシオ)は、昭和7年(1932)7月22日に、いまの千葉県南房総市和田町にあった小原時計店小原理一郎の6人兄妹の末っ子として生まれた。祖父権太郎は製材所を営み、捷雄を大変可愛がっていた。幼いころから父や祖父の店を遊び場に商いを見て育ち、戦中戦後を通して多感な少年時代を送っていた。特に祖父からの影響は大きく、後に起業することになる。昭和26年(1951)に、千葉県立安房水産高等学校製缶科(現千葉県立館山総合高等学校海洋科)を卒業し、大学進学を夢見るもかなわず。昭和28年(1953)21歳になる捷雄は葛飾瓦斯株式会社(現京葉瓦斯株式会社)に入社する。昭和25年(1950)当時は朝鮮戦争が勃発し特需景気に沸く時代であった。

昭和30年(1955)には日本住宅公団が設立され、昭和33年(1958)には東京タワーが完成。“もはや戦後ではない”と宣言されたのもこの時代である。京葉地域は都心のベッドタウンとして発展し、多くの団地や住宅の建設が進められていた。捷雄は京葉瓦斯でガス工事の監督として勤務していた。

昭和37年(1962)に9年間勤めた京葉瓦斯を退社し、昭和38年(1963)3月14日に京葉瓦斯指定ガス工事店として、不二工業株式会社(現不二公業株式会社)を千葉県市川市菅野に設立する。資本金50万円であった。当時30歳であった捷雄は、生涯を閉じるまで、人々の暮らしを支える仕事に携わることになる。

成長の時代 ~事業の拡大~

開設時の習志野支店(昭和43年頃)

昭和45年頃のガス湯沸器・ガスストーブのカタログ 社員旅行京都嵐山(昭和49年)

昭和39年(1964)には東京オリンピック、昭和45年(1970)には大阪万博が開催され、本格的な高度成長期を迎える。

昭和43年(1968)には習志野支店(千葉県習志野市)を開設し、習志野市指定ガス工事店として営業を開始する。また、同年、本社を市川市菅野から船橋市丸山に移転。昭和45年(1970)にはガス器具販売店(現在は閉鎖)を船橋市丸山に開設している。当時の社員は15名であった。その後、事業も順調に進み、昭和49年(1974)には社員が33名に増加し、車両や重機、資材置場を確保するため、本社を現在の船橋市金杉町に移転する。

昭和50年(1975)ごろは、沼田ガス(群馬県沼田市)、幸手都市ガス(埼玉県幸手市)、渋川ガス(群馬県渋川市)、角栄ガス(千葉県佐倉市)、東海ガス(静岡県焼津市)などのガス工事も請負っており、地方での都市ガス普及にも貢献をしてきた。昭和52年(1977)には長南支店(千葉県長生郡長南町)を開設し、長南町ガス指定工事店(現在閉鎖)として営業を開始する。

昭和48年(1973)から昭和54年(1979)にかけて、オイルショックによる世界同時不況を経験するが、昭和53年(1978)には新東京国際空港(成田)が開港、昭和58年(1983)には東京ディズニーランドが開園するなど、時代は追い風であった。

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創業30周年記念式典(平成4年)

昭和40年代の工事現場 昭和50年代の工事現場

昭和52年(1977)には千葉県水道局指定工事店の指定を受け、水道工事・下水道工事・舗装工事・衛生空調設備工事など、土木工事・管工事業に本格的に参入することになる。現在、工事部は、本社4部門(ガス本支管課、ガス設備課、土木課、建築設備課)と習志野支社を統括するが、組織基盤はこのころから徐々に固まってきた。

昭和61年(1986)1月には、現社長智(サトル)が住友建設株式会社(現三井住友建設株式会社)を退社し、不二工業に入社する。智は技術系であったが、入社当初は経理・人事などの事務職を担当し、その後、工事部・営業部を経験することになる。

昭和62年(1987)12月17日に震度5強の「千葉県東方沖地震」が発生し、長南町のガス施設は大きな被害を受け、当社はその復旧にあたった。

昭和54年(1979)には売上高10億円を達成し、10年後の平成元年(1989)には20億円を達成した。また同年には、更なる事業の発展と組織の充実を図るために、社訓「安全第一」「愛社精神」「規律礼節」が制定され、現在でも当社の行動規範として大切に守られている。

平成4年(1992)捷雄の還暦の年には、多くのお客さまをお招きし、創業30周年祝賀会が開催された。平成7年(1995)4月には、習志野支社の新社屋が完成するが、平成8年(1996)3月に捷雄は心不全で倒れ、一命を取り留めるも長期療養を余儀なくされた。当時、常務取締役であった智は、会社経営の全般を任されることになる。

変革の時代 ~顧客重視の経営~

浦安市舞浜付近の被災状況(平成23年)

>京葉瓦斯より感謝状をうける(平成23年) 感謝状(平成23年東日本大震災)

昭和60年(1985)の「プラザ合意」が引き金となり、昭和61年(1986)から平成3年(1991)にかけた好景気を「バブル景気」と呼んでいる。この間に資産価格は急激に高騰し、その後急速に下落した。これが「バブル崩壊」である。その後、景気は長期にわたり低迷し、平成3年(1991)以降、今日に至る時代は「失われた20年」と言われている。これにより消費は低迷、雇用は悪化し、デフレ状況は現在も続いている。建設業を取り巻く環境は大きく変化し、建設投資は平成4年(1992)をピークに減少を続け、現在ではほぼ半減。時代は大きな転換期を迎えることになる。

平成7年(1995)1月17日には、震度7の「阪神淡路大震災」が発生し、兵庫県を中心に大きな被害を受けた。当社は京葉瓦斯からの要請により、都市ガス施設復旧隊として隊員を派遣した。この年は「地下鉄サリン事件」も発生している。平成19年(2007)7月16日に発生した「新潟県中越沖地震」にも復旧応援として現地での災害復旧に携わった。また、平成23年(2011)3月11日に発生した「東日本大震災」は観測史上最大の震度7を記録し、東北から関東にかけて広範囲に被害を及ぼした。京葉地区では、特に浦安地域での被害が大きく、当社ではガスはもちろん、上水道・下水道の復旧にも携わった。当社では、地震・風水害・雪害など災害時の緊急要請に応える体制を既に整えており、千葉県、船橋市、習志野市との協定を結んでいる。

ISO9001 認証取得(平成14年)

船橋をきれいにする日(平成24年) 経営計画発表会(平成24年)

平成元年(1989)に売上高20億円を超え、平成9年(1997)には26億円を達成した。このころから、安全・品質管理体制の確立や組織の充実など、さらなる経営基盤の強化を図ることになる。平成8年(1996)8月には社名を「不二工業」から「不二公業」に変更する。「二つと無い」を意味する“不二”に、「公共(Public)」「公正(Fairness)」「奉公(Contribution)」を表す“公”を併せて、「技術と信頼でお客さまに安全と安心を提供し、豊かな街づくりに貢献する」ことを目指して事業を進めることになる。

平成14年(2002)10月には品質マネジメントシステム(ISO9001)を認証取得する。同年、企業理念「社会貢献」「顧客満足」「率先垂範」を制定し、顧客本位と社員重視の考え方を明確にした。また、委員会制度を導入し、社内の活性化を図った。さらに、経営計画発表会を開催し、経常方針、部門実行計画を全社員で共有する機会を設けたのもこのころである。さらに、平成19年(2007)12月には環境マネジメントシステム(ISO14001)を認証取得する。併せて「安全・品質・環境方針」を定め、お客さまからの信頼を高めていった。また、大学からのインターンシップの受け入れや、清掃活動など地域貢献活動にも積極的に参加することになる。

船橋市に浄財を寄付(平成15年)

NHKが新工法を紹介(平成16年) 日本ガス協会より技術賞を受賞(平成21年)

平成14年(2002)4月に捷雄は社長を退き、会長に就任。智が代表取締役に就任する。捷雄は、ISO認証取得を心から喜んでいた。新しい不二公業の始まりを実感していたに違いない。平成15年(2003)2月、捷雄は船橋商工会議所の副会頭に就任する。第一線を退いた捷雄は、第二の人生において、地域社会へ貢献することを、大変楽しみにしていた。しかしながら、病状は急速に悪化し、同年5月に、70年の生涯を閉じることになる。すい臓癌であった。また、この年は創業40周年の年でもあった。会社では、生前、大変お世話になった地域社会への感謝の気持ちを込めて、船橋市並びに船橋商工会議所に、お礼を述べさせていただいた。

平成15年(2003)には、京葉瓦斯と非開削工法の技術開発に本格的に取り組むことになり、ニュージーランド・オークランドのフレックスドリル社を訪問し海外での推進技術を初めて視察。その後、京葉瓦斯はフレックスドリル工法(推進工法)を導入する。平成16年(2004)12月には、NHKのおはよう日本で「“地震に強いガス管”に新工法」として紹介される。平成21年(2009)には、日本ガス協会より技術賞を受賞する。平成17年(2005)には、米国・サンフランシスコのトリックツール社を訪問し、非開削工法の現状を視察した。現在、京葉瓦斯と共同開発を進めるトリックトレンチレス工法(非開削管入替工法)も実用段階に入り、交通渋滞の緩和や掘削土量の削減など、環境負荷の低減に大きく貢献している。また、これらの技術開発により、特許や実用新案を保有することになる。

不二公業からのメッセージ

社員旅行岩手祝暴漢舟下り(平成24年)

本社 習志野支社

現在の建設投資はピーク時から減少し、少子高齢化や人口減少が続くなか、これまで以上の建設投資の増加は見込めない状況にあります。また、価格競争が激化するなか、顧客ニーズは多様化し、建設産業を取り巻く環境は厳しさを増しています。一方、人々が安心して暮らせるための防災対策や老朽化した社会資本インフラ対策などの重要性が高まり、建設業に対する期待や社会的責任が大きく見直されています。

このような中、平成23年(2011)には、中期経営計画「チャレンジ2013」を策定し「収益力強化の3ヶ年」と位置付け、持続的に成長する企業を目指しました。
こうした時代の流れの中で当社は今、未来に向けて新たな一歩を踏み出すことになりました。50年のあゆみを振り返ると、決して平坦なものではありませんでしたが、それぞれの時代に即した取組がなされてきました。現在、当社は、より一層お客さまから信頼され、選ばれ続ける企業になるため、お客さまに安全と安心を提供するのはもちろん、新たな価値創造や人材育成、環境活動への取組みなど全社一丸となって実践しています。そして、先人への感謝の気持ちと、これまで培われた技術と信頼を大切にし、皆さまのご期待にお応えできるよう、新たな100年企業に向かって前進を続けてまいります。